コラム 『沈黙の春』と「核の冬」

まず「春」がきて、その次にくるのは夏でも秋でもなく、「冬」である。私が大切にしてきた先人の書き物の順位を言うと、そうなる。1番目は、有害化学物質の危険性を世に問うたレイチェル・カーソン著『沈黙の春』の文庫本。2番目は、核戦争による地球寒冷化に警鐘を鳴らしたカール・セーガン著の「核の冬」に関する論文だ。共に勇気と情熱に満ちた、世紀の発信である。

筆者 吉田 文彦
プロフィール:
東京大学文学部卒、朝日新聞社入社。2000年より論説委員、論説副主幹。その後、国際基督教大学(ICU)客員教授、米国のカーネーギー国際平和財団客員研究員などを経て2016年から長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)教授、2019年から同センター長。主な著書は、『核解体』『証言 核抑止の世紀』『核のアメリカ』『迫りくる核リスク』。大阪大学にて博士号(国際公共政策)取得。

Image
吉田文彦(RECNA提供)

この半世紀近くの間に、私の机は何度も変わってきた。就職や人事異動、定年後の転職などがその理由で、ざっと数えて20台近い机と過ごしてきた。ただ、どんな机を使おうとも必ず、すぐ手の届く引き出しに入れ来た本がある。レイチェル・カーソンさん(1907-1964)が著わした『沈黙の春』。原書の初版が1962年、手元にある邦訳は1975年版の文庫本で、定価は320円だ[1]

米国の海洋生物学者だったカーソンさんは、殺虫剤、除菌剤として大量散布された合成化学物質の有害性に関するデータを地道に収集・分析した。その成果として歴史に残る警世の書を刊行し、いわゆる「生物濃縮」の危険性を指摘した。

「生物濃縮」では、有害な化学物質が動植物の中で濃縮して蓄積され、生態系をむしばむ。食用生物を食べた人間の体内でさらに濃縮・蓄積されて、健康にも害を及ぼす。多くの科学者が沈黙を破れない中、カーソンさんは勇気をもってそう警鐘を鳴らしたのである。

Img 6030
手元にある『沈黙の春』(吉田撮影)

農林業にとっての「害虫」駆除のために撒かれた化学物質が、生態系を織りなす多様な生物を傷めつけ、果てには春の訪れを告げる鳥の元気な声も聞けなくなる。そんな危惧から、原題の「Silent Spring」が生まれた。がんを患っていたカーソンさんは、亡くなる2年前に同著を世に出した。まさに渾身の一冊だった。

たちまちベストセラーとなり、当時のケネディ米国大統領の目にもとまった。それ以前の化学物質規制は人体に直接的な害のある毒劇物や排ガス・排水等の規制にとどまっていた。カーソンさんの勇気ある発信を受けて、「生物濃縮」による健康被害を防ぐための化学物質規制が、(遅ればせながらも)世界各地で導入されていった。

    ♢     ♢     ♢

私が大切にしてきた先人の書き物の順位で言うと、「春」の次にくるのは夏でも秋でもなく、「冬」である。『沈黙の春』に次ぐのは、米国の惑星科学者、カール・セーガンさん(1934-1996)が1983年に発表した「核の冬」に関する論文で[2]、40年余り大事に手元に置いている。最初はコピーで、途中からPCの中に保存してきた。

論文でセーガンさんは、仲間の科学者たちとの研究結果を踏まえて、①米ソ核戦争が起きれば、大量の煙やススが地球大気圏に拡がって太陽光を遮る、②その結果、氷河期ほどにまで地球が寒冷化する恐れがある、と破滅リスクに強い危惧を示した。

Img 6029
セーガンさんの1983年の「核の冬」論文(吉田撮影)

科学の領域を超えて、政治的な見解に踏み込んでいる。そんな批判もあったが、核軍拡が進む最中の勇気ある発信だった。世界の多くの人々が、核戦争の危険を新たな視点で見つめるようになり、私自身も広島、長崎の惨状を始めて学んだ時に劣らぬ衝撃を受けた。

時がたち、1989年に冷戦が終わった。米ソ全面核戦争の危険が後退し、「核の冬」への恐れも遠のいたかに見えた。だが今度は、セーガンさんの流れをくむ次世代の研究者たちが、新たな知見で改めて核戦争に警鐘を鳴らし始めた。全面的ではなく地域的な核戦争であっても、地球寒冷化が起きうるとの研究論文を発表し続けている。

いわく――南アジアで核戦争が起き、インド・パキスタンが合わせて250発の核戦力で双方の都市を核攻撃すると、やはり大量の煙やススが太陽光を遮る。世界平均で地表温度が2-5℃低下して、氷河期並みの地球寒冷化に直面する恐れがある。

そう、人間の文明、現在の地球環境を短期間で崩壊させる核戦争のリスクは、常に私たちの日常とともにある。この現実を一日たりとも忘れてはいけない。そんな気持ちで、くだんのセーガン論文を大切に保管してきた。

 ♢     ♢     ♢

カーソンさんにはお話を伺えなかったが、セーガンさんにはご自宅を訪ねてゆっくりお話を聞く機会に恵まれた。1991年の冬で、ご自宅は銀世界に包まれていた。

第一次湾岸戦争でクウェートを侵略したイラクを追い返すために、国連安保理決議に基づいて米国などの多国籍軍が本格参戦しようとしていた。その際、クウェートの市街地が攻撃されたり、イラクが撤退する前にクウェートの油田地帯を爆破したりしたら、どうなるか。「都市部で大量火災が発生し、地下の原油が地表出口で炎上して、計100-200カ所で激しい火の手が上がる」。そうなると、「小規模の『核の冬』のような気候変動が生じるだろう」。セーガンさんは強く危惧していた[3]

もちろん、科学者としての良心に基づく研究成果だった。目の前でこの警告を聞いた時、何とか、米国の本格介入を止めようとするセーガンさんの思いをひしひしと感じた。「核の冬」論で米ソ核戦争を防いで地球と人類を守ろうとした彼の1980年代の熱い思いが、その時も息づいているようだった。言うまでもないが、ご自宅を訪ねた時、私は1983年の「核の冬」論文を鞄の中に大事に携えていた。

 ♢     ♢     ♢

カーソンさんと話せなかったのは残念で仕方ないが、時計の針は戻らない。それだけに、机の中の『沈黙の春』の存在はずしりと重く、これからも宝物であり続けるだろう。

実はこの文庫本、半世紀ほど前にお借りした一冊だ。すっかり色あせているが、得るものがあまりに多くてお返しできないままでいる。本当の持ち主の名は、万年筆の文字で本の末尾に丁寧に記されているが、私がまだまだこの本の学徒であることを察してか、返却を求めずにきてくださった。身勝手ながら引き続き手元に置かせていただき、勇気あるこの名著、長い年月を共にしてくれたこの本、しかも直筆名の入ったこの本と対話し、エネルギーをもらっていきたい。

参考文献
[1] レイチェル・カーソン(青樹簗一訳)『沈黙の春』新潮社、1975年

[2] Carl Sagan, “Nuclear War and Climatic Catastrophe: Some Policy Implications”, Foreign Affairs, Winter, 1983, Vol. 62, No. 2 , pp. 257-292

[3] 吉田文彦「湾岸戦争なら環境破壊の恐れ 「核の冬」提唱のカール・セーガン博士」朝日新聞、1991年1月12日夕刊