オピニオン 先進民主主義国家にはびこる「フジツボ」

筆者 ダニ・オルバフさん(エルサレム・ヘブライ大学准教授)

プロフィール:
エルサレム・ヘブライ大学准教授(歴史学およびアジア研究)。専門は軍事史、政治的暗殺やクーデター、軍事的残虐行為の力学など。著書には『ナチス逃亡者たち:世界に潜伏、暗躍したスパイ・武器商人』など多数。

ダニ・オルバフさん(本人提供)

国際法、料理に関する規制、公務員採用、情報機関の人材確保――これらに共通点はあるのか。表面的には、まったくないように見える。しかし注意深く見ていけば、それらを貫く“隠れた糸”が見えてくるだろう。

それは、ロシア、中国、イランといった権威主義国家との競争において、先進民主主義国が抱える深刻な構造的弱点を浮かび上がらせるものだ。その糸とは実は、「官僚的惰性(bureaucratic inertia)」である。すなわち、規則、手順、手続きがじわじわと積み重なり、船の船底にこびりつくフジツボのように、制度の俊敏性と効果性を確実に損っていく。

この問題を考えるにあたり、少し古い話から始めたい。1992年、当時のCIA長官ロバート・ゲーツは、アゼルバイジャン語(トルコ語系)を話せる情報担当官を緊急に必要としていた。おそらく秘密任務のためであったと考えられる。徹底的な人材探しの末、ようやく適切なセキュリティクリアランス(機密アクセス権)を確保できる候補者が見つかった。

ところが、カフカ的とも言える障害が立ちはだかる。CIAの採用候補者は、英語の作文試験を含む標準的な一連の試験に合格しなければならなかった。この候補者は英語作文で不合格となり、採用委員会によって不採用とされた。これに対し、ゲーツは激怒した。「英語が書ける人間なら何千人もいる。アゼルバイジャン語を話せるのはあいつしかいない。いったい何を考えていたんだ」と。

単なる官僚主義のおかしさを物語るエピソードとして、これを片づけてはいけない。。構造的なの病理の一端を垣間見せる事例である。他にもたとえば、イスラエルの元国立公文書館長ヤーコブ・ロゾウィック教授は、退任時のインタビューでこう述べている――公務員制度における手続きがあまりに厳格であるため、長期的なビジョンを描くどころか、実行に移すことすら困難であったと。予算の承認は遅れ、制限も多く、月単位での計画すら立てることができなかった。人材採用に至っては、差別防止・バイアス排除の観点から、応募者の履歴書にすら目を通すことが許されなかった。その結果何が起きたか――機能マヒである。

こうした手続き主義の原則は、米国の連邦議会のような議会制度における対話にも当てはまる。抑制と均衡に基づく制度は、特定の派閥が完全に支配することを許さず、競合する利益の間で妥協を促すように設計されている。顕著な例がフィリバスター(法案採決を遅らせたり阻止したりするために、議員が長時間演説したり、ゆっくり投票したりする戦術)の存在であり、これは実質的に法案を可決するためにはある程度の超党派的支持を必要となってくる。

ただ、このような(対話を想定した)仕組みは、すべての政党が共通点を見いだし、実現可能な解決策に到達しようとする真摯な関心を持っているという、基本的だがしばしば語られない前提に基づいている。ところが、アイデンティティ政治が優先されると、党派的な行動者たちは協力よりも分断を煽り、アイデンティティに基づく対立を強調することに重きを置くようになる。その結果、立法の停滞や制度の麻痺が生じることになる。

目先を変えて、レストラン業界を見てみよう。

19世紀、アメリカに渡った貧しい移民、特にイタリア系移民は、鍋とコンロ、良いレシピさえあれば、小さな食堂を開いて生計を立てることができた。しかし今日、西側の都市では、たとえ小規模なレストランであっても、合法的に開業するには衛生・防火・バリアフリー・用途地域など、目が回るような数の許可を取得しなければならない。その規制をクリアするのがとても困難な場合が日常茶飯事で、起業希望者は高額な仲介業者に頼らざるを得なくなるか、非合法な業者の手を借りることになる。そこで彼らは、軽微なものであっても格好の汚職の餌食となるのである。

これらの事例は、腐敗や悪意の問題ではない。むしろ焦点は、「手続き上のフジツボ」が西側の制度的柔軟性を徐々に、しかし確実に蝕んでいるという点にある。船には、海に長く浮かんでいればいるほど、フジツボが付着していく。一つひとつは小さく無害に見えても、やがて船全体の速度を大きく損なうほどに増える。海軍戦において速度はかつて生死を分ける要素であったが、フジツボによる弊害は今日の地政学的競争でも同様である。

1950年代、CIAは管理職の裁量で人材を採用していた。セキュリティチェックは迅速で簡素だった。その後、ソ連の諜報活動などの脅威を受けて、当然ながらチェック体制は強化された。しかしそれが過剰に拡大し、現在ではセキュリティクリアランスの取得に最短でも1年以上を要することがある。

1970年代、テルアビブ大学歴史学部長のシュロモ・ナアマン教授は、アイスクリームを食べながら会話した若手研究者の知性に感銘を受け、その場で採用を決めた。今日、イスラエルの大学で新たに人を雇うには、4つの委員会、外部の審査者、そして複数の管理部門の承認が必要である。

誤解のないようにしておく必要がある。すべての規制が悪い言っているわけではなく、中には必要不可欠なものもある。規制をなくして、縁故採用や不衛生な屋台の時代に戻るのがいいわけではない。問題の核心は制度の構造にあるのである。つまり、必要性とは無関係に、官僚機構が自己増殖していく傾向にこそ、問題がある。

イギリスの歴史家C・ノースコート・パーキンソンはかつてこう述べた――大英帝国が縮小しても植民地省の職員数は増え続けた。海軍の艦船が減っても、提督の数はむしろ増えた。官僚というものは、本質的に部下を増やし、競争相手を減らそうとする存在である。彼らは互いに従うべき手続きを生み出し、評価が成果ではなく過程に結びついている組織では、合理化への動機は乏しい。

さらに、手続きの過剰成長を促すもう一つの要因として、「革新性」や「個人の遺産」を残そうとする文化に根差した欲望がある。西側社会の活動家、官僚、政治家の多くは、アクセシビリティ(利用のしやすさ)、人権、環境意識といった価値観に囲まれて育ってきている。その中で自己表現をするには、既存の規範に満足せず、新たな提案を打ち出す必要がある。結果として、より洗練され、あるいは時に極端な規制が次々に導入されていく。アメリカ議会では、「社会的」法案を通す際に、古い規則を撤廃するのではなく、新しい制限を加える形で立法されることが多い。

それが積もり積もって、「規制の雪だるま」ができあがる。たとえばイスラエルでは、事業用ウェブサイトを構築するだけでも、非常に複雑なアクセシビリティ規則を遵守しなければならず、それを正しく理解できる者はほとんどいない。

こうした手続き主義の蔓延は、西側の戦略にも重くのしかかっている。国際法、多国間条約、戦争法の複雑な解釈――いずれも理念としては高潔であるが、今や軍事や外交の柔軟性を妨げる制約の絡み合った網となっており、議会制度における対話を麻痺させるアイデンティティ政治によって、さらにその影響は深刻化している。政治学者タニシャ・ファザルは、戦争法を作る人々(裁判官、国連職員、法学者)と、実際に戦う人々(軍指揮官)の間には社会学的断絶があると指摘する。前者は進歩的理念と同僚からの評価を動機として、ますます制約的なルールを作り続ける――中には、民間人の精神的苦痛や動物への被害までも均衡性[1]の考慮の対象にしようとする者もいる。

一方で、西側の敵――ロシア、イラン、ハマス――は、そのような制約を一切受けない。この非対称性は、極めて危険である。西側諸国は、高コストで時間がかかり、法的にも複雑な戦争を強いられる。敵は、安く、素早く、そして卑劣に戦う。

軍艦に付着したフジツボのイメージ写真(オルバフさんが合成AIで作成)

この“フジツボ”は、西側の戦略や外交の歯車にも入り込み、機能マヒを引き起こしている。なぜNATOはウクライナへの武器供与の決定に何ヶ月も要するのか。なぜEU加盟の決定には10年以上もかかるのか。それは、あらゆる新たな行動が、増え続ける手続き規範、内部プロトコル、多国間合意の迷路を通過しなければならないからである。不法移民の国外退去ですら、たとえ[国内]裁判所の明確な命令があったとしても、フランスのように国内法とEU規則が複雑に絡み合った国では、実行が事実上不可能となりかねない。

船は定期的に掃除しなければフジツボによって沈没してしまう。しかし、船体を強引にゴシゴシ洗うことは破壊的な結果を招くことになる。それは独断的なドナルド・トランプの例みれば明白だろう。では、どのような対話で解決を見いだせるのだろうか。それとも、皮肉なことだが、フジツボによる重荷は、先進的な民主主義国家にとって避けられないことなのだろうか?

(日本語訳:ヤロスラフ・クラースニー)

参考文献:
[1] 「軍事目標を攻撃する際に想定される文民の被害が、軍事的利益を大きく上回ってはならない」という国際人道法(武力紛争法)の中の均衡性の原則