コラム 土地は誰のもの

「失地回復」目的の戦争が行われ、戦後処理の一環に国境が変更されたり、領土が割譲されたりして、領土が他国の手にわたることもしばしばあった。国境を動かさず、住民交換で故郷を追われることもあった。(中略)「固有の領土」や「聖地」を言い出せばきりがない。「固有の領土」の起点を、いったい、いつの時代にまで遡ればよいか。

筆者 吉川 元(きっかわ げん)さん
プロフィール:
1951年、広島市生まれ。博士(法学)。前広島平和研究所長。神戸大学・広島市立大学名誉教授。単著に『ヨーロッパ安全保障協力会議 CSCE―人権の国際化から民主化支援の発展過程の考察』(三嶺書房、1994年)、『国際安全保障論――戦争と平和、そして人間の安全保障の軌跡』(有斐閣、2007年)、『国際平和とは何か――人間の安全を脅かす平和秩序の逆説』中央公論新社、2015年、などがある。

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吉川元さん(本人提供)

ロシアの対ウクライナ戦争を見ていると土地の所有者はいったい誰なのかとの疑問がわくのは私だけではなかろう。「国土」の領有権根拠を探しだすにはいったいいつの時代まで遡ればよいのか。

19世紀から20世紀に前半にかけて強国の身勝手な無主地先占の法理に基づく植民地化が進められ、またアラスカの買収や中国の租界に象徴されるように領地を売買したり、租借したりする慣行もあった。同じころ、「失地回復」目的の戦争が行われ、戦後処理の一環に国境が変更されたり、領土が割譲されたりして、領土が他国の手にわたることもしばしばあった。国境を動かさず、住民交換で故郷を追われることもあった。父祖伝来の地が未来永劫にわたって自分たち名義の土地であるとの保証はどこにもない。

第二次世界大戦後には、こうした慣行は廃れていった。ところが、21世紀も四半世紀経ったころ、軍事超大国の二人の大統領、すなわちロシアのプーチン大統領とアメリカのトランプ大統領が、大国に都合の良い領土変更を迫るようになった。トランプはグリーンランドやカナダの併合を主張し、プーチンは古来ロシア領であると主張するウクライナを力ずくで併合しようとしている。失地回復主義の復活である。

ウクライナをロシア領であるとのプーチンの主張を聞いた隣国モンゴルのエルベグドルジ元大統領は、ロシアがモンゴル帝国の一部として描かれているモンゴル帝国時代の地図をSNSに投稿し、ロシアはかつてモンゴル領であったと、やんわりと「失地」を偲んだ。

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モンゴルのエルベグドルジ元大統領のXへの投稿 (1)

そう言えば、湾岸戦争で、イラクがクウェート侵攻した際には、イラクのサダム・フセイン大統領(当時)は「クウェートはもともとイラク領であり、取り返しにいったのだ」とクウェート併合を正当化しようとした。それを聞いた隣国トルコのオザル大統領(当時)は、イラクは「もともとトルコ領だったのだが」と、フセインに異議を唱え、遠き昔のオスマン帝国領イラクの「失地」を想起させたものである。

数千年単位で「聖地」に舞い戻る例もある。ローマ軍に征服されたユダヤ人が「聖地」から追放されたのは2世紀前半のことである。その聖地に舞い戻ってきたユダヤ人がパレスチナにイスラエル国家を建国したことから、パレスチナ人とユダヤ人が土地の領有をめぐって戦われているのがパレスチナ戦争である。国際政治の世界では、いつ何時、昔の地主が「失地」を取返しに来るのか、予測がつかない。それにしても固有の領土を正当化する根拠を探り当てるにはいったいつの時代まで遡ればよいというのか。

土地はだれのものか。19世紀以来、土地はその地を住処とする民族に帰属するものであるとする主張、すなわち、民族自決主義も、国際政治を動かす強力なイデオロギーであった。民族は、自決の原則で自分の国を持つ資格があるとの政治原則が、19世紀末から20世紀前半にかけて民族国家誕生の原動力となった。

今また、民族自決主義が復活している。それも、民主化の時代にふさわしい手続き、すなわち住民投票によって多数派住民の民意を背にした民族自決である。ソ連とユーゴスラビアの分離独立に際して国際承認の根拠に住民投票の実施を求めたのは記憶に新しい。エリトリアや東チモールの分離独立もこの流れにある。

ところで民族自決主義には、厄介な問題が潜んでいる。独立を志向する多数派民族の独立の動きと、その中に存在する少数民族の連動した民族独立の動きである。セルビア人国家の誕生に伴い、その中のアルバニア人(コソボ)の独立、アゼルバイジャン人国家の誕生に伴い、その中のアルメニア人(ナゴルノカラバフ)の独立、その他、20世紀末に誕生した数々の「未承認国家」は、民族自決の動きに連動した国家誕生であった。

それに加えて国民統合や同化政策に反発したエスニック・グループがアイデンティティを再生し、分離独立を志向する動きも各地に顕在化している。スコットランドの分離独立、ケベックの分離独立、バルセロナの分離独立、中東ではクルド人国家の民族統合と独立、中国ではウィグル人、チベット人の分離独立等、世界各地で自分たちの民族国家を持ちたいと願う人たちがあまたいる。ところが「自国第一主義」が力を持つようになり、世界各地で対外関係や外交が内向きになり、権威主義体制が力を持つようになると、権力政治への回帰とグロ-バルガバナンスの行き詰まりは必至であろう。すると民族自決主義の動きは再び弾圧され、国際政治の舞台から頭を潜め、潜航するのだろうか。

南米のベネズエラが、隣国ガイアナのおよそ7割を占める地域の領有権を主張し、しかも併合の賛否を問う国民投票を行い、その結果、95%以上が賛成した、というニュースを耳にした。領有権の根拠として実施されるようになった国民投票も、ここまで来たかと嘆息せざるを得ない。「固有の領土」や「聖地」を言い出せばきりがない。「固有の領土」の起点を、いったい、いつの時代にまで遡ればよいか。そうこうするうちに、ふと、今の自分名義の土地に疑問がわく。いったいいつから、何を機に自分名義の土地になったのであろうか、と。

参考文献:
浪間新太, 「モンゴル元大統領がモンゴル帝国の地図を投稿 プーチン氏へ皮肉か」, 朝日新聞, 2024年2月13日https://www.asahi.com/articles/ASS2F5CVHS2FUHBI028.html.