「被爆の実相を本当に国境なく、あるいは人種、民族を超えて伝え、地球上のすべての人が同じ街に住むかのように一緒になって、それこそ対話しながら平和の思いを共有していく。そういうつながり、そういう対話が必要であると思っております。そうした思いや行動を地球市民という言葉で表現できればと考えて使っているところです」
話し手:鈴木史朗さん
プロフィール:長崎市(出島町)生まれ。東京大学法学部卒業後、平成3年に運輸省(元国土交通省)へ入省。交通・観光関係部局や海上保安庁のほか、内閣府国際平和協力本部事務局などの勤務を経て、令和4年12月、九州運輸局長を最後に退官。令和5年4月に第36代長崎市長へ就任。被爆二世でもあり、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器なき世界の実現へ向けて被爆地の思いを国内外へ積極的に発信している。
聞き手:平林千奈満さん
プロフィール:長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員。長崎市内の小学校教諭。2000年長崎市生まれ。長崎大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科修了。ナガサキ・ユース代表団第11期生・第12期生。現在、ナガサキ・ユース代表団OGとして、また被爆3世として平和研究と活動に取り組んでいる。

1 市長に就任される前、対話をどのように考え、実行してきたか。
平林 本日はありがとうございます。早速ですけれども、鈴木市長が市長になられる前、対話をどのように考えて、どのように実行されてきたかという点からお尋ねさせてください。
鈴木さん(以下、敬称略) 私は市長になる前は、国家公務員でした。今の国土交通省ですが、私が入ったころは運輸省でした。大学を卒業したあと30年以上勤務しました。その中で大切にしていたのは、現場の声を聞くことです。現場にこそ答えあり、とよく言われますが、実際に自分で現場に出かけて行って、自分の目で確かめて、現場の人たちの声を聞くことがとても大切だと思ってきました。こちらからもいろいろ質問したりして、現場で対話することを重視してきました。霞が関から見ているだけではわからないことも、現場に行ったら課題や突破口が見えてくるのです。そんな場面に出会うたびに、現場の皆さんとの対話ってとても大切だなと思ってきました。
平林 どのような現場で対話されてきたのでしょうか?
鈴木 例えば交通行政を担当していた時でしたら、実際に交通機関を利用している国民の皆さん、利用者の皆さん、あるいは交通機関を運行している事業者の皆さん、そういった実際にその交通機関を使っておられる方々、運行に携わっていらっしゃる方々などと話すことが現場での対話になると思います。私は30年以上の国家公務員生活のうち、約8年間は海上保安官として、海上保安庁の仕事も担当していました。海上保安庁は、私が担当した仕事の中でも一番現場に近い仕事でした。海の警察であり、海の消防でもあります。海難事故の防止や救助が大事な仕事のひとつですが、問題になりかねない場所は、まさにそうした仕事の現場です。そこでできるだけ、実際に何が起こっているのかを自分の目で確かめ、現場で対話することが大事な仕事でした。自分は船乗りではないですが、実際に船に乗ったりもしていました。船に乗って初めて、海の現場を実感できることが多々ありました。
平林 国家公務員として平和に関するお仕事もされていたと伺っています。
鈴木 平和という意味では、国土交通省から内閣府の国際平和協力本部事務局に出向していたことがあります。国連平和維持活動(PKO)などを通じて日本が行う国際平和協力業務や物資協力などの事務を所掌する事務局でした。現地での国際平和協力活動が円滑に遂行されるよう、様々な調整を行うのが任務です。
その時に私は、平和構築関係の人材育成とか、紛争によって難民になった人たちに対する物資の支援といった業務にも携わっていました。紛争の最中にその現場を訪れるのは難しいですが、例えばガザ地区の被災民にテントや寝袋、給水タンクなどの物資を支援する時も、ガザ地区の中はなかなか入れないですが、できるだけ紛争地の近くの、エジプトにある物資支援の物流拠点に行って、現場の声を聞いていました。
2 市長に就任されてから、対話をどのように実践してきたか
平林 そうした対話経験もお持ちになって、2023年の4月に市長に就任されたわけですね。
鈴木 市長になってから、現場の声を聞くということが大切だという思いがより強くなりましたね。基礎自治体というのは、市民にとって一番身近な政府ですから、市民の皆さんの声って、すぐ聞こえてきます。
市政に関して、こういうことしてほしいとか、たくさんのご要望が耳に入ってきます。例えば、ある道路がよく整備できていなくて、凸凹のままだからきちんと整備してほしい、といった市民の声ですね。そして、うまく対応ができると、「ありがとうございます」と感謝の声もすぐ聞こえてきます。そういう意味では、対話しながら行政を進めていくことの大切さを感じておりまして、市政を進めるにあたって、市内各地に出向いてタウンミーティングを行っています。市民の皆さんと車座になって、市民の皆さんからの市に対するいろんな意見をいただいています。こうした場をできるだけたくさん持って、対話をさせていただいているところです。

SNSも有効です。こちらの方から情報発信したら、すぐに世界中からリアクションが来ます。そういうSNSでの対話は、今、すごく有益だなと思って大切にしています。
平林 ありがとうございます。最近、対話の中でこういったところに力を入れている、意識しているといったことはおありでしょうか?
鈴木 まずは聞くことですね。対話するときにはやはり、聞く力がとても大事だと思います。岸田前総理もそれを強調されていたと思いますが、聞く力は本当に大切だなと思います。
対話している者同士が語る言葉は、自分では相手に伝わると思って話していても、相手に十分伝わるかというと、そうでない場合もあります。それはお互い様で、それぞれの立場やバックグラウンドも違ったりするので、使う言葉が同じでも言葉の意味するところは、微妙に違ったりもします。そこで対話の中では、単に聞くだけではなく、例えば、今おっしゃったことはこういうことですか、というような質問をします。それによって、こういうことを意味しているんです、というような補足説明が出てきて、お互いの意思疎通がさらによくなります。そういうキャッチボールがすごく大切だと思っています。ですから、対話の中ではまず相手の言葉をよく聞き、そのうえでキャッチボールをします。相手がその言葉によって何を伝えようとしているか、その真意をしっかり確かめていくことを重視しています。

3 長崎が目指す平和、核廃絶において、対話の意味をどう考えるか。
平林 ありがとうございます。次の質問に移らせていただきます。昨年の平和宣言でも対話という言葉が出てきていましたが、長崎が目指す平和、核廃絶において、対話の意味ということについてはどのようにお考えでしょうか。
鈴木 先ほど、現場にこそ答えあり、と申し上げました。現場でこそわかること、現場でこそ伝えられることがあると思っています。だからこそ、被爆地として被爆の実相をしっかり伝えるということが大切だと日々、実感しています。そうした思いが深いので、被爆の現場に実際に来ていただくことに大きな意味があるとも考えています。原爆資料館で実際に展示を見ていただいたり、あるいは被爆者の体験を聞いていただいたり、自分の目で見て、耳で聞いて、そして心で感じていただく。それによって初めてわかってくる。現場を訪れてこそ、被爆の実相がわかってくると思っています。
平和宣言でも呼びかけていますが、被爆地に一人でも多く訪れていただきたいと考えています。特に、世界各国の指導者の皆さん、リーダーの皆さんにぜひ被爆地を訪れていただいて、被爆の実相を知っていただきたいと思っています。そういうことをこれからも呼びかけてまいります。
4「地球市民」という言葉に込めた意味は、どのようなものか。
平林 自分の目で見て、聞いて、感じて、そして自分ごとにするというのは本当に大切だと思います。昨年の平和宣言に「地球市民として」との表現が使われたり、長崎で地球市民フェスが開催されたりと、長崎では地球市民という言葉が自然に出てきているような気がします。RECNAの「対話」プロジェクトにとっても、地球市民はひとつのキーワードになっています。長崎が発する地球市民の意味について、どのようにお考えでしょうか。
鈴木 長崎はもともと、江戸時代には出島があって、日本の西洋への唯一の窓口でした。西洋のものはまず長崎から日本に入ってきて、逆に日本のものは長崎から外へ出ていました。そういう中で、長崎の人たちは、海外の人たち、あるいは海外の文化に対する寛容な気持ち、気質を歴史の流れの中で自分たちの特徴として備えてきたのだと思います。
その長崎が1945年に、被爆都市となりました。被爆の実相を本当に国境なく、あるいは人種、民族を超えて伝え、地球上のすべての人が同じ街に住むかのように一緒になって、それこそ対話しながら平和の思いを共有していく。そういうつながり、そういう対話が必要であると思っております。そうした思いや行動を地球市民という言葉で表現できればと考えて使っているところです。
5 長崎で次世代の対話の場や活動が増えていくことに、どのような期待を持つか。
平林 RECNAの「対話」プロジェクトは「開かれた長崎 2.0」というキャッチフレーズを使っています。市長が今言ってくださったこととすごくリンクしているというふうに感じております。次の質問に移らせていただきますが、ナガサキ・ユース代表団の活動でもやはり、対話を重視してきました。私が加わった11期、12期生も、対話をテーマにしたイベントをウィーンとジュネーブで開催しました。昨年初めて開かれたNagasaki Peace-preneur Forum(One Young Worldの長崎での平和分科会)の中でも、若い世代を中心に対話の輪が広がりました。長崎で次世代の対話の場や活動が増えていくことについて、どのような期待を持たれますか?
鈴木 若い世代の皆さんには本当に頑張っていただいていて、いろんな平和に関する取り組み、平和に関する対話の場が増えています。とても大切なことだと思っております。核兵器廃絶という大きな目標について、大上段に構えると、なかなか裾野が広がっていかないところがあるかもしれません。そこで、もっと幅広く「平和の文化」で共感しあっていくことが大切だと思います。芸術やスポーツなどを入り口として、文化的なものを楽しみ、感動を共有することによって、平和の大切さを同時に感じてもらう。そういう「平和の文化」を推進していますが、「平和の文化」をきっかけとして、若い世代の間でどんどん平和の大切さへの思いを広げていただければと願っています。日頃は平和にあまり関心を持っていない人たちにも、「平和の文化」を通じて平和の大切さを一緒に感じていただく。それによってより多くの方々に、平和について考えてもらうきっかけを増やしてく。そうした広がりに大きな期待を寄せています。
核兵器がこの世の中に存在すると、今自分たちが享受している平和がいつか失われるかもしれない、という現実に思いを馳せていただくことが、とても大切なことです。そういう意味で、様々な平和に関する活動がこの長崎で行われているという最近の動きを、本当に心強く思います。特に「平和の文化」を通じて、核兵器廃絶への行動の裾野を広げるという観点から、そう思っています。そのように頑張っている若い世代の皆さんの背中を、我々としても力強く押していきたいと思います。
平林 ありがとうございます。市長は海外にも何度も行かれて、平和首長会議の方でも活躍されていると拝察しております。「平和の文化」とか長崎の文化を伝える際に、原爆だけではなくて、いろんな長崎の魅力をどのように発信していけばいいのか、気をつけていらっしゃることとかありますか?
鈴木 相手の価値観を理解すること。そのうえで共有できるものを見つけ合っていくことがとても大切です。一方的に何かを押し付けるのではなく、お互いの理解に基づいて共感する、共有するということが、大切だと思っております。共感し合うことによって、平和のメッセージもより説得力が増してくることを何度も実感してきました。
共感を呼ぶためには、どういったことが効果的なのか。それは長崎のことをよく知っていただくことが一番だと思っています。被爆の実相はもちろんですが、被爆の実相に加えて、長崎はこういう街だということも理解していただけるように努力しています。長崎にはいろんな魅力がありますからね。歴史、文化、自然。食の魅力もあります。そして何と言っても、人の魅力は格別です。こういった魅力を伝える中で、平和への思いにも共感が広まってほしいと思っています。 (インタビュー実施日:2025年3月25日)
