インタビュー 大石賢吾さん(長崎県知事)に聞く

私たちは昔、いろいろ浪費をしていた面があると思いますが、でもそれを変えていこうという意識が高まってきた。自分事として、誰も見てないところでも取り組む。その意識、行動を変容させたのは、やはり(SDGsという)グローバル・アジェンダの存在が大きいと思っています。ですから、持続可能性という意味で、次の(SDGsの後の)グローバル・アジェンダに核兵器廃絶が入っているべきと考えているところです。

話し手 大石賢吾さん

プロフィール:
1982年生まれ。長崎県五島市出身。カリフォルニア大学デービス校卒業後、長崎大学熱帯医学研究所や厚生労働省等の勤務を経て、2022年3月に長崎県知事に就任し、現在1期目の最終年を迎えている。歴代知事で初めてNPT再検討会議に参加するなど、核兵器廃絶に向けた平和発信事業に積極的に取り組んでいる。現職知事で最年少。趣味はラグビー。座右の銘は人間万事塞翁が馬。

聞き手 平林千奈満さん

プロフィール:
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員。長崎市内の小学校教諭。2000年長崎市生まれ。長崎大学教育学部卒、長崎大学大学院教育学研究科修了。ナガサキ・ユース代表団第11期生・第12期生。現在、ナガサキ・ユース代表団OGとして、また被爆3世として平和活動に取り組んでいる。

平林 本日はお忙しいところお時間をいただき、ありがとうございます。RECNA(核兵器廃絶研究センター)では、戦後・被爆80年にあたる今年から、「対話」をキーワードにしたさまざまなプロジェクトを計画しています。長崎を対話で開かれた街にし、行動につなげていきたいと考えているところです。知事の個人的なご体験も踏まえてお話しいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

1. 大石知事が知事になられる前、そしてご就任後も含めて、「対話」をどのように考え、活かしてきたか。

平林 大石知事は、「こんな長崎どがんです会」をはじめ、県民との対話を非常に大切にされていると感じております。大石知事が知事になられる前、そしてご就任後も含めて、「対話」をどのように考え、活かしてこられたのかについて、お聞かせください。

インタビューに答える大石知事(長崎県庁提供)

大石さん(以下、敬称略) 知事就任前の話ですが、原爆について心に残っていることが一つあります。私は、アメリカの大学へ留学しましたが、そこで一番初めに選択したクラスがモダンヒストリー(近代史)でした。私は「長崎から来た」とかは何も言わず、そのクラスを選択しました。アメリカに行って間もない頃ですから、まだ拙い英語です。そういうタイミングでよくそのクラスを選択したなと、今思うとチャレンジングなことをしたなと思いますが、その中で、「原爆を落としたことについてどう思うか」というディスカッションがありました。

そのクラスを受けていたのは、私と同じ年代の方々ばかりで、10代後半~20代前半ぐらいの学生でした。いろいろな国から来ていました。海外の学生の方には、「原爆を投下したことは正しかった」と言われた方が結構いらっしゃって、その理由を尋ねると、「第二次世界大戦を終わらせるために必要なことだった。そうじゃなかったら、もっと被害が多くなっていた」ということをおっしゃいました。一方で私は、「原爆は投下してはならなかった」という、周りと異なる意見を持っていましたので、拙い英語ながらお話ししました。その時に、「日本のどこから来たんだ?」という話になり、私は「長崎から来た」と答えました。すると不思議なことに、「核兵器は使うべきものじゃない」「間違っている」と、くるっと変わったと言いますか、その場の空気が一気に変わったんです。

今振り返ると、教育の影響が大きかったと思います。彼らは彼らで、彼らが受けてきた教育に基づいてお話をしたのだと思います。私も、自分が学んできたこと、見てきたこと、聞いたことを踏まえて話しましたし。ただ、原爆について何か実体験を持って私が話したかというと、そうではありません。長崎で生まれ育ったら、8月9日は登校日ですし、いろいろなことに触れ合う機会があり、興味があって調べたこともありました。おそらく被爆地以外の他の国の人たちは、あまりそういう教育を受けた経験はないでしょうし、教育が大きなウエイトを占めていると思います。

そういう中で、モダンヒストリーを履修したら、日本人がいて、その学生がたまたま長崎から来ていて、被爆について勉強してきたことや聞いたことなど、いろいろなことを言った。そうすると、空気感も意見も大いに変わったという体験をしているので、私はやはり対話はとても大切だなと思っています。

話すこと、聞くこと、知ることから動き始めることは結構あります。さきほど言ったように教育は大切ですが、対話が生まれることで、動きが始まることも多々あると思います。あの時のクラスを取った方が今どうしていらっしゃるか分かりませんが、その方々は、長崎から来た人がそういった話をしたということは、きっと忘れていないと思います。草の根というか、しっかりと対話で広めていく、共有していく作業がとても大切なのだと、私はその体験を通じて思いました。

知事に就任後、知事としての対話は、被爆の話だけではありませんが、物事を決めて、力を合わせてやっていくとき、理解を得られないと、納得感がないとなかなか難しい。そういう意味では、対話はそれを探る手段であって、絶対に欠かすことができないものだと思うんですよね。ですから、協力を得る、同じ方向を見て一緒に進んでいくときには、必ず対話をしないといけないと思います。

政策を決めるとき、私の思いつきだけでは到底、無理です。私の世界観は、いろいろな方々の声を聞いていますので、そこも含めた世界観ではありますが、非常に限られたものです。けれども、例えば農業にしても、県庁の農林部の職員が現場を知って、さまざまな関係者のお話を聞いて、歴史も知っていて、そういった職員の見えている世界は私に見える世界と全然違います。ですから、そういった職員の話を聞きながら、みんなで決めていく、その作業のベースとなるのが対話だと思っています。力を合わせる、横の繋がり縦の繋がりを継続していくというところには、対話が不可欠なのだろうと思います。

ですから、さきほどおっしゃっていただいた「こんな長崎どがんです会」もそうなのですが、私は就任してから、県民の皆様の声を直接お聞きすることを大切にしています。私自身がそこから吸収することも多いですし、県政にしっかりと反映することも大切です。実際に反映されたことがいくつもあります。また、対話をすることを県の職員に見ていただいたり、県民の皆様にも見ていただいたりすることは、やはりとても大切なことだと思います。決して私自身の周りだけの話ではなく、そういうことを広く長崎県内で進めていくことが非常に重要だと思います。対話は、人と一緒に何かを進めていくうえで常に必要なものであると認識して、これからも大切にしていきたいですね。

「こんな長崎どがんです会」での対話の様子(長崎県庁提供)

平林 大石知事が対話を大切にされていると感じますし、大石知事が対話で政策などを動かされるのを目の当たりにしていれば、県民同士の対話も増えていくのではないかなと感じました。

大石 会ってお話をするというのは非常に重要なことで、対話の内容は覚えていなくても、会って話して楽しかったということだけでも重要だと思います。やはり言葉にすると、あるいは言葉を聞くと、それが自分の中で力になっていきますよね。

私が医者として仕事をしていた時のことですが、精神科医でしたので非常に対話が大切でした。少し切り口が違う話になってしまいますが、人はとても辛い時もあるし、一人でどうしようもない時が絶対にあります。その時に何に支えられるかといえば、人それぞれです。例えば、家族や友人に支えられる方もいらっしゃるでしょう。また、ある方は信仰によって、辛い時や苦しい時でも、信仰に基づいた受け止めをなされることで乗り越えられたりします。ある方にとっては、お医者さんのお話を聞きたいという方もいらっしゃる。ただ、そこには共通するものとして、言葉の力の強さが非常にあって、倒れてしまいそう、途絶えてしまいそうなところを踏ん張らせる力を言葉は持っています。そういった意味では、命をつなぐ力を持ったものでもあると私は思っています。

平林 言葉の強さについて、とても共感します。私は4月から長崎市内の小学校に着任しますが、教育実習等で子どもたちと接していて、言葉一つひとつの持つ重みを実感しています。ちょっとした言葉で子どもが勇気づけられることもありますし、傷つけられることもあると思います。お互いを温かくするような言葉、そして会話が大切だと思いました。

大石 非常に会話が興味深いなって思うのは、言う方の価値観、考え方は、とてもよく言葉に表れますが、同じ言葉を同じ人が同じように言ったとしても、受け取り方で伝わるものが違うんですよ。私はアメリカへ留学する時、日本の先生から、「絶対にアメリカでは医者になれない」と言われました。確かに、アメリカで医者になるには、学力だけではなく永住権を持っているかどうかとか、いろいろなハードルもあって難しいのは事実です。ですから、「そんな賭けに出るのではなくて、日本で医者になりなさい」ということをおっしゃってくださったと思います。私はそれを聞いた時、アメリカに行くのをやめることもあったかと思いますが、逆にその先生の言葉を激励と受けとめて、他の人にできないなら自分がやってやろうという気持ちになり、絶対に医者になってやると思ってアメリカに行きました。結局は、日本で医者になったのですが。

ただ、私はその先生の言葉があったからこそ、親にも負担をかけている以上は、自分が成せる範囲の中で最高のところを成し遂げたいと思い、アメリカで歯を食いしばって頑張り、最優秀の成績で卒業できました。今思うと、あの言葉にはとても支えられたなと思っています。ですから、言葉は使う方の考え、哲学も必要ですが、受け取る側の受け取り方も非常に重要だと思います。この方にこんなことを言ったらどうするのかな、という相手への理解と、どのように受けとめられるかというイマジネーション(想像力)、そうしたことを念頭におきながら言葉を選んでいくことが非常に大切だと思います。

2. 長崎が目指す平和、核廃絶において、対話の意味をどのように考えるか。

平林 ありがとうございます。対話の重要性についてご自身の体験から語っていただきましたが、長崎が目指す平和や核廃絶において対話の意味についてはどのようにお考えでしょう。

大石 国際社会は今、分断が進んで深刻化しています。そうした中でもすべての入り口は、やはり対話だと思います。私は就任してから、核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加させていただくという決断をしました。想像していたことではありますが、国同士の交渉はなかなか難しいところがあり、いろいろな国の事情や考え方があって、そこを踏まえていく必要がある半面、それでは遅々として進まないという現実もある。それが現在の状況なのでしょうが、そうした中にあっても、やはり世界中の主だった方々が対話を大切に平和に向けた活動を頑張っていらっしゃいます。

平林さん(右)の質問に答える大石知事

平林 広島県と協力して、ポストSDGsのグローバル・アジェンダ(世界のすべての人が取り組むべき課題)に核兵器廃絶を入れる働きかけをしてらっしゃいますね。

大石 核兵器の廃絶ということを考えたときに、そのプレイヤーは国家だけではありません。国家安全保障のあり方は、もちろん国家によって決められますが、では切り口はそこだけかと言われると、そうではないと思っています。広島県と一緒に取り組んでいるポストSDGsの提案では、今のSDGsの次のグローバル・アジェンダに核兵器廃絶を入れることが目的です。核なき平和な世界の実現に向けて持続可能性の観点から国を動かしていくためには、一人ひとりの方々が当事者であるということをしっかりと認識していただくことがやはり重要だと思っています。気候変動問題について、ここまで世界中で多くの人が自分事と考えるようになり、一人ひとりを当事者として巻き込むことに成功したのは、現在のSDGsに気候問題が入ったことが大きい。世界の持続可能性という大きな文脈の中で、気候変動への対応のあり方を問うたことが、現在の取り組みに繋がっていると思います。多くの方々が、水を節約したり資源をリサイクルしたり、循環社会の実現に向けて参加し行動されています。

こうしたことはそれほど昔からではなく本当に最近の話です。そうした視点では、私たちは昔、いろいろ浪費をしていた面があると思いますが、でもそれを変えていこうという意識が高まってきた。自分事として、誰も見てないところでも取り組む。その意識、行動を変容させたのは、やはりグローバル・アジェンダの存在が大きいと思っています。ですから、持続可能性という意味で、次のグローバル・アジェンダに核兵器廃絶が入っているべきと考えているところです。それを実現するには、世界のさまざまな国にしっかりと議論してもらい、賛成の議決をいただくということが大切で、国を動かすために関係者が連携して活動していただく必要があると考えています。

そのための取り組みを広島県と一緒に力を合わせてやっています。フレンズ会合という組織体をつくり、われわれに賛同してくださる国々などに参加していただき、そういう思いを持った方々の輪を広げていく取り組みをしています。そこでは当然、対話が必要ですので、4月末からニューヨークの国連本部で開催されるNPT再検討会議準備委員会にも行き、関係者に直接お会いをして、こういう思いをしっかりと伝え続けていきます。

平林 そのフレンズ会合で、例えば被爆地の思いを伝えるときには、どういった工夫をされていますか。

大石 広島と長崎ってやはり特別な存在で、長崎県と広島県だからこそ伝えられるものがあります。核兵器は悲惨なもの、非人道的なものとの思いが自然と出てくる。そういったところが被爆地にはあると思うんですね。決して人類と共生はできないものだということをわかっているからこそ、自然と核廃絶を訴えることができる存在なのだと思います。それはもう非常に特別なものであって、各国の要人や核軍縮の関係者と話をした際に、そういうことを感じますし、そこに対する期待も感じます。被爆地はそうした自然な思いを伝える責任のようなものを背負っているようにも思います。

そういったことを認識しながら、広島、長崎で何が起こったのかをしっかりと伝えること、そして、持続可能性の問題として、やはり核兵器とは共生はできないということを理解していただきたいと伝えることが大事だと思います。難しい課題はあります。それを否定しきれるわけではありませんが、この厳しい国際情勢の中で本当に核兵器とは共生できないのだということを発信していきます。もちろん、もう二度と使われてはいけないということも、しっかりとお伝えしていきたいと思います。

平林 冒頭にアメリカに留学された際の話をされましたが、やはり私もいろいろなところに行かせていただいて、長崎が持つ意味っていうのはすごく大きいなと感じていています。そういう中で、大石知事が実際に足を運ばれていろいろと活動されるのは、本当に大きな意味を持つというふうに私も感じます。

大石 私は今回、ナガサキ・ユース代表団にいた平林さんとお話をさせていただいていますので、被爆の話を中心にしています。長崎という名前の持つ意味は、平和ということに非常に大きなウエイトを持つのはよく理解していますが、私は知事として、この長崎という言葉を聞くと、もっとたくさんの意味を持つとも感じるんですね。長崎の街の印象にはとても素敵なもの、とても誇れるものがたくさんあります。私は英語でよく「we do have more to offer」と言いますが、長崎が世界に与えるのは平和のメッセージだけではないよという点も大事だと思っています。長崎って魅力がたくさんあって、悲しい辛いイメージだけではなく、おそらくそこを踏まえて、あるいは乗り越えて今なお続く長崎の魅力があるわけですからね。そうしたところをご理解いただいて、長崎に来てもらったり楽しんでいただいたりすることも重要なのだと思います。ポジティブな印象を持ってもらうことは、とても大事なことだと思います。

3 若い世代の対話の機会拡大についてどう考えるか。

平林 ナガサキ・ユース代表団、One Young Worldの平和分科会であるNPPF (Nagasaki Peace-preneur Forum)、対馬での日韓交流を含め、長崎において若い世代の対話の場が増えてきているように思います。こうした動きにどんな期待を持たれますか。

2024年のNPPFに集った皆さん(長崎県庁提供)

大石 やはりさきほど言いましたように、長崎って非常に特別な場所であり存在でもありますので、そういったところに若い方々が集まってきて、言葉が交わされるということ、対話されるということは非常に良いことだと思います。横の繋がり縦の繋がりを継続していくには対話が不可欠と言いましたが、縦というのは伝承だと思っています。被爆された方々のご高齢化が進んでいるという現実がありますけれども、メッセージを引き継いでいく新しい世代の方々がしっかりと訴えていくことが大事で、そうした縦の繋がりを支援する対応も必要だと思います。

ただ、縦だけでなく、やはり横に広げるということも大切だと思います。今おっしゃっていただいたように、NPPFのような長崎で動いている対話の取り組みは、長崎で見えている世界観というものを他の方々に共有していただく良い機会になると思っています。そういった場所に、関心を持った方々、意識を持った方々を募り、実際にアイデアや目標も含めて、思っていることをしっかりと共有して持ち帰っていただき、さらに広げていただければと期待しています。

こうした考え方は実は、さきほど言ったポストSGDsの考え方と同じだと思います。やはり一人ひとりが当事者となり、自分事として捉えて活動を広げていくということが重要になっています。そういったことがここ長崎でも起こり始めているというのは、非常に良いことだと思います。これまでも先人たちが多くのことに取り組んでこられ、今改めて若い方々がこの国際情勢が厳しい中にあっても、対話の気運を高めて、大きな世界規模の大会が長崎で行われているということは、たいへん良いことだと思います。長崎県としても、それを後押ししていきたいです。

核兵器の使用はもう二度と、絶対にあってはいけません。長崎を最後に、こんなことは終わりにしなければいけない。長崎が最後の被爆地であり続けることが重要で、人類の歴史として、私たちがしっかりと引き継ぎながら、その意味をお伝えしていくということを続けていかなくてはならないと思っています。

平林 ありがとうございます。一人ひとりが共感し自分事として考え行動する際にも対話が必要ですし、対話によって人と人とが縦にも横にも繋がっていくことが重要だと実感することができて、とても勉強になりました。

大石 対話だけでなかなか解決できない問題もたくさんありますが、対話がなければ何も進まないと思います。必要不可欠なことだと言っても良いでしょう。ぜひこのたびのRECNAの「対話」特集も多くの皆さんに読んでいただき、またその先に新たな対話が生まれるような良い取り組みにしていただければと思います。

平林 特に若い世代を念頭にメッセージをお願いします。対話をあきらめずに、自分を育てていくために必要なことって何だとお考えになりますか。

大石 対話がどういう場面かにもよりますが、人との関わり合いを大切にすることは、現在の社会では困難な時もあるのだろうと思います。私は以前に精神科医として働いていましたので、会話や人との触れ合いというのを病気を起こしてしまう原因となり得るものとしても捉えていますし、病気から回復をして、また活躍できる状態に向かうために必要な環境としても捉えています。両面があるので非常に難しいのですが、人との関わり合いが複雑になってくる中で、それを諦めないためには、やはり一人ではできない、一人だったら乗り越えられないものもあるということに、一人ひとりが思いをいたすのが大切かと思います。非常にアナログな言い方になりますが、やはり一人だと難しい時もあるということを、一人ひとりが改めて理解しないといけないのだと思います。

人との繋がりの中でこそ成功体験に繋がるということを実感できれば、そうした理解を深めていけると思います。辛い時に相談をして、自分の背中を支えてもらい、何とか乗り越えられた時の体験などです。私はラグビーをしていましたが、厳しい練習を仲間と励まし合うことで共に乗り越えた成功体験は、とても大きな財産となっています。歯を食いしばって一緒に乗り越えた仲間の絆って、やはりとても強いものがあるんですね。もちろんラグビーでなくても、スポーツでなくてもいいのですが、人との繋がりの中で成功体験を持つことは意義深いと思います。

人との関わり合いというものを大事にできる、それを楽しめるような環境をつくって提供していく。そこがとても大切なのだろうと思います。今どうしても、教育や社会のあり方が、こうしなければならないみたいなものが非常に増えてきているように思えます。ある意味世知辛いと言いますか、昔のような、おおらかさという表現が適切かどうかわかりませんが、そうしたものが薄くなり、ルールに縛られているような感じはしています。その中でも、仮にそういう社会になってきたとしても、やはり人の繋がりという、さきほどアナログと言いましたが、そうした大切さというものを私たちが改めて認識して、それをまた培って、子どもたちに引き継いでいくようにしていきたいですね。それができるような環境をしっかりと提供することが大切と思っているところです。

                              [インタビュー実施日:2025年3月24日]

インタビュー終了後の大石知事(左)と平林さん(長崎県庁提供)