インタビュー 被爆者の竹下芙美さんに聞く 6

話し手 竹下芙美さん

プロフィール:
1941年生まれ。3歳の時に入市被爆。1987年の沖縄への旅をきっかけに、核実験に抗議する座り込みなど反核・平和運動に関わるようになる。若いころから病に苦しみ、甲状腺がん、皮膚がん、肺がんが見つかる。1992年に「長崎の被爆遺構を保存する会」を発足させ、共同代表として活動に取り組む。

聞き手 平林千奈満さん

プロフィール:
長崎市内の小学校教諭。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員。2000年長崎市生まれ。長崎大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科修了。ナガサキ・ユース代表団第11期生・第12期生。現在、ナガサキ・ユース代表団OGとして、また被爆3世として平和研究と活動に取り組んでいる。

これまでの経験や活動を振り返って、対話がどのように生かされてきたか。

平林 これまでの経験や活動を振り返って、対話がどのように生かされてきたか、また、対話の重要性についてお伺いしたいと思います。先日、竹下さんが母校の銭座小学校の5年生の児童に対して平和学習の出前講座をされているのを拝見しました。児童に対してどういったことを伝えられましたか。

竹下 今は小学生だから、人生の基礎になる勉強をしっかりすることと、お友達や家族と仲良くすることをしてください。そして、私が話したことは心に留めておいて、大人になって余裕ができたら、私は核実験に抗議する座り込みをしているけれど、それぞれが形は違っても意見を表明したり行動したりすることのできる人になっていただければ嬉しいなという話をしました。戦争や原爆の話について、みんなお喋りをしないで聞いてくれて、嬉しかったです。

平林 竹下さんは、ご自身のご経験を話されるときに、小学生に対して、大人に対してなど工夫されていることとはありますか。

竹下 私は小さい子だから、大人だからとはあまり考えず、誰に対しても同じように話します。自分が経験したこと、自分の頭の中で感じたこと、これまで生きてきたことを話すだけで、難しい話をしたことはありません。だから、大人だから、小学生だからといって分けようがないですね。

平林 竹下さんは、これまでに活動されてきたことについて、ご自身の経験に基づいてお話しされているんですね。今、私にお話してくださっているときも、丁寧にまとめられた様々な貴重な資料やお写真を用いてお話してくださっていますよね。活動を伝えられる際には、言葉に加えて資料を活用しながら次の世代に伝えられていますね。

竹下 そうですね。被爆体験は色んな方がしてくださっています。けれども、被爆遺構などは、私しかその現場を知らないこともあります。私しか知らないことをしっかりと伝えないといけないと思ってるから、それだけはもうちょっと頑張って伝えていこうと思っています。

平林 長崎での活動に加え、韓国の方や中国の方など、たくさんの方々とお話しされてきたと思います。こうした活動を通して感じた「対話」の重要性についてお聞かせください。

竹下 お話ししたように、釜山での在外被爆者の方のお気持ちや、ドアの隙間から見てる少年の顔を振り返ってみても、実際に行って感じること、何でも行動に移すことが本当に大事だとずっと思っているんです。私は、昔から色んなものに興味を持つ人間なので、ダメ元で思いついたことはやってみて、失敗してしまったら、次につなげればいいし、うまくいったら、やってよかったと思うし。私は沖縄に行っていなかったら、テレビを見たり編み物したりして過ごすおばあちゃんだったと思います。でも、沖縄に行って、色んなことを学習させていただいて、本当に沖縄に行ってよかったと思う。やっぱり、「知る」ことは大切です。昔はね、知らないことは知らないと思ってたんです。だけど、知らないことは罪なんだというのを、今はずっと感じてるんです。やっぱり、知らないことに出会ったら、学習して深めることが大事だと思います。「知らない」ということは、もしそのことが悪いことだったら、悪いことに加担したことになると思うんですよね。だからね、生涯、学習だなと思うね。実際のところ、もうすぐ私は84歳だけど、人生のうちどれぐらい知ってきたんだろう、ほとんど知らないんじゃないかな、と思ってる。

平林 竹下さんのお話や活動を伺って、まずは、実際に自分の足で現地に行って、直接お話しするなど、「知る」ことが大切だということですよね。

竹下 人から聞いたり、又聞きしたりするより、本人から「こんなに苦しかったんだ」「食べ物も一日にこれぐらいあればいい方だった」と直接聞けば違いますよね。中国にも何回か行って、強制連行に関するお話を聞いたりしてね。涙ながらに話をされて。もう亡くなったんだけど、私と同じ年の中国の方が、お父さんを急に連れていかれて、多分日本だろうけど、どこに連れて行かれたか分からないと。平野さんと元NBC長崎放送記者の関口達夫[1]さんが調査をされて、長崎の浦上刑務支所で亡くなったことが分かって。それで、娘さんをお招きして、お父さんが亡くなったところを案内したんです。そしたら、もう大号泣されてね。やっと、お父さんが亡くなったところに行けたということでね。たまたま娘さんと私は年が一緒だったから、余計に自分のことみたいに考えられてね。娘さんにはお父さんを探してくれてありがとうございますと感謝して喜んでもらって、年も一緒だから仲良くしてもらってね。だから、当事者の人と会うのは辛いけれども、交流は生まれますよね。

平林 交流したり対話したりするときは、相手に寄り添うことを大切にされているんですね。

竹下 そうなんですよ。今まで人に言えなかったことを、私たちにこんなに辛かったんだとおっしゃてね。私たちも原爆で苦しみました。だから、こっちの話も聞いてもらうし、向こうの話も聞く。お互いに聞き合うことが大切ですね。

そして、日頃から少しでも社会問題や世界情勢などに関心がないと、実際にどこかに足を運んでも繋がらないと思うんですよね。私の場合は、先程お話したように、夫と一緒になって、普段からテレビや新聞のニュースについて、それはおかしい、それは許せないとか毎日話していたんです。テレビや新聞でニュースを見て、一人で悶々と考えるのではなく、外に出て考えを表明して、みんなで行動することが大切だと思います。

平林 テレビや新聞などのニュースにアンテナを張り、知り得たことを様々な人と対話し、行動することが大切ということですね。

平林 最後に読者へのメッセージをお願いします。

竹下 今もガザやウクライナをはじめ、色々なところで戦争や紛争が起きてますよね。そういうことに対して、「他の国の話だから」「他人事だから」ではなく、「自分だったらどうするか」と自分事として考え、活動してほしいと思いますね。以前、母に戦争が始まった時はどんな感じだったか尋ねたんです。母は、気づいた時には戦争が始まっていたと言ったんですよね。意識していないと気付けないことがあると思うので、アンテナを張り巡らして、自分が今どういう立場にいるかを常に考えて、本当の意味での平和を子どもたちにずっと渡せるように、考えて頑張っていただきたいなと思います。

平林 竹下さんがおっしゃるように、自分事として考えて行動することが大切だと私も思います。昨年、ナガサキ・ユース代表団12期生で竹下さんのお話を伺った際に、竹下さんからいただいた折り紙のお人形をNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会が行われたジュネーブに持って行って、出会った方々に届けさせていただきました。竹下さんの思いも伝えさせていただきましたが、皆さん本当に喜ばれていました。平和への思いが届くことはとても素敵なことですし、共に平和の意味を考え、平和を次の世代に伝えていくことは大切だと感じました。

竹下 本当に?嬉しいね。今、手が痛くって制作をストップしてるんだけど、やっぱり世界中の皆さんに広がっていけばなと思います。

平林 竹下さんご自身も被爆されながら、色々なところにアンテナを張り、気付いて、考えて、行動されているのが改めて素晴らしいなと思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

参考文献:

[1]関口達夫(1950~)長崎市生まれ。元NBC長崎放送記者、原爆・平和報道に携わる。言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会事務局長。

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