オピニオン ゲームを活用した新しい学びと対話 2

筆者 西山心さん

プロフィール: 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員。長崎大学多文化社会学研究科の博士後期課程に在学中。長崎活水中学高等学校出身。活水に在学中は平和学習部に所属し、被爆の記憶継承活動に携わる。国際基督教大学卒。米国ミドルベリー国際大学院モントレー校で不拡散(修士)を専攻。2024年にウィーン軍縮不拡散センター(VCDNP)で研究インターンシップ、包括的核実験禁止条約機構フェロー。現在は、国連軍縮事務局ユース非核リーダー基金メンターもかねる。

西山心

では、そのような「学びと対話を生む」ゲーミフィケーションのデザインとは、実際にどのような形をとり得るのか。以下に4つの実践的な事例を挙げてゆく。

1. 模擬国連(Model United Nations, MUN)

「模擬国連」は、世界各地の学生が外交官になりきって国際問題に挑む、ロールプレイ型(現場での経験が想定される場面のなかで、いろいろな役割を演じてみて課題の明確化、対応能力の向上などをはかる)のシミュレーションプログラムである。その起源は1923年、ハーバード大学で開催された「模擬国際連盟」にまでさかのぼる。

模擬国連の特徴は、対話と交渉のプロセスにゲーミフィケーションの要素が組み込まれている点にある。国家間の利害対立や妥協、同盟関係の構築など、現実の国際社会と同様な構造の中で、ロールプレイを通じて“外交のリアル”を体感できる。今日では、模擬国連は高校や大学の国際関係・政治学の授業だけでなく、課外活動としても広く実施されている。その教育的効果の高さから、世界中の教育現場で採用され、若者たちの国際的な視野と対話力を育む場となっている。

2. リアクティング・トゥ・ザ・パスト(Reacting to the Past, RTTP)

リアクティング・トゥ・ザ・パスト」は、対話とゲーミフィケーションを融合した高等教育向けのアクティブ・ラーニング手法である。参加者が歴史的な人物や政策決定者になりきり、過去の政治的・社会的な出来事を追体験することで、戦略的思考や対話力を育むことを目的としている。RTTPは主に米国・欧州の高校・大学で歴史、政治学、社会学、美術史、倫理、人権といった幅広い学術分野に渡り導入されている。プログラムは英語(一部フランス語)で構成されている。

RTTPの大きな特徴は、知識の暗記や講義にとどまらず、能動的な対話と交渉、意思決定のシミュレーションを通じて「歴史を生きる」感覚を得られることにある。ヤルタ会談(1945年)やルワンダ虐殺後の平和構築(1994年)など、戦争と平和をテーマにしたプログラムもあり、実際にその時代の関係者の立場を演じることで、多角的な視点と共感力を身につけることができる。RTTPは、さまざまな教育ニーズに応える柔軟な設計になっており、大人数向けの長期シリーズ、少人数グループでの短期集中型、さらには会議やワークショップ用の単発セッションがある。

3. 気候アクション・シミュレーション (The Climate Action Simulation)

このシミュレーションでは、参加者は政府、企業、非政府組織などのリーダー役を演じ、地球温暖化を抑えるための政策を提案・交渉し、合意形成を目指す。この過程で、議論・交渉・政策立案といった実践的なプロセスを体験できるのが特徴である。また“En-ROADS”と呼ばれる気候政策シミュレーターを使用することで、提案した政策が環境や経済に与える影響をリアルタイムで視覚的に検証できる(ibid.)。このデータ駆動型かつ対話重視のシミュレーション構造によって、従来の講義形式では得がたい主体的な学びや、実践的な意思決定スキルの育成が可能になる。

4. 教育版マインクラフト (Minecraft Education)

広島マインクラフトカップで参加者の小学生を見守る西山さん(東京大学大学院渡邉英徳研究室 提供)

 以上が、対話とゲーミフィケーションを組み合わせた4つの実践モデルである。ゲーミフィケーションは、コンテンツに楽しさを加えるだけではなく、学習や意思決定のプロセスを直感的かつ能動的にする手法として機能することが事例を通して分かる。一方、ゲーミフィケーション要素を取り入れることは、問題を単純化し緊張感を弱めるリスクもあるため、慎重なゲームデザインが不可欠である。

被爆80年という歴史的な節目を迎える今こそ、戦争の記憶を未来へとつなぐ手法が求められている。ゲームという共通言語を通じた学びは、私たちの記憶の土壌に根を張り、対話がその成長の栄養剤になるのではないだろうか。かつて私がゲームの中でうっかり口にしたベニテングダケも、実はそんな学びの芽のひとつだった。ゲームは、時に(中)毒にもなり、学びにもなる。問題は、どう“遊ぶか”ではないか。ゲームの毒キノコが教えてくれたことが現実で役立ったのなら――今度は、核兵器をめぐる議論においても、誰かの記憶に残るかもしれない。