筆者 山口響さん
プロフィール Journal for Peace and Nuclear Disarmament (J-PAND、長崎大学発刊) 編集長補佐。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)特定准教授・客員研究員。現在の研究関心は原爆後・戦後の長崎の歴史。「長崎の証言の会」で2014年から被爆証言誌の編集長を務める。1976年、長崎県生まれ。

「被爆者の声」を聞こうとする側にはおそらく、「被爆体験のモデルイメージ」のようなものがある。それは語り手の被爆者の側もたぶん同じである。
「被爆者の声を聴くべきか」と問われれば、100人中99人が「その通り」と答えることだろう。
私自身も被爆証言誌の編集に長く携わっているし、世の中全体を見渡してみても、学校などでの被爆体験講話、オンライン上にある証言ビデオ、被爆者をテーマにした文芸などには、その気になればいくらでも触れることができる。
一方で、被爆者はその声を聴かれることをはたして望んでいるのだろうか、という思いもよぎる。
被爆者の声を記録するという行為に関わったことのある人なら誰しも経験したことであろうが、すべての被爆者が自らの経験を語ることに前向きというわけではない。
新聞やテレビによく登場する「有名被爆者」という方々がいるとすれば、「そんな人たちに比べて自分たちの体験なんて…」と尻込みしてしまう被爆者の方々もいる。被爆時にいた場所が爆心地から遠かったり、直接被爆したわけではなく、遠方の街で被爆者を救護したり、被爆後しばらく経ってから被爆地を通過しただけだったりする場合に、このような反応が現れやすい(実際には、これらの場合でも、被爆者健康手帳を取れるケースが少なくないのだが)。
逆に、体験が壮絶すぎるゆえに、あるいは、自分にとって近しく、しかし原爆によってその命を絶たれてしまった人のことを思い出してしまうがゆえに、体験を語ることができない、という人もいる。
私も、一度だけだが、ある被爆者の方からお話を聞かせていただく段取りが別の方を介してできていたのに、お会いする日時を決めるためにご自宅に電話したところ、「お話しできることはありません」と言って断られてしまったことがあった。その理由がどのあたりにあったのかは、もちろんわからない。「自分の体験は大したことはない」ということだったのかもしれないし、逆に、体験が重すぎて、いざ他人に話そうという段になって、とても口に出して話せない、と思われたのかもしれない。
「被爆者の声」を聞こうとする側にはおそらく、「被爆体験のモデルイメージ」のようなものがある。それは語り手の被爆者の側もたぶん同じである。
その枠にはまるような体験を自分は持たない、あるいは、そのようなことは胸がいっぱいでとても話すことはできない、と感じた時に、被爆者は語ることを拒絶する。
被爆者の、文字通りの声を直接聞くことはその場合かなわない。だとしても、拒絶されたという事実、そしてその背後に横たわっているであろう事情に思いを巡らすことも含めて、被爆者との〈対話〉だとみなすとすれば、おこがましい考え方だろうか。