私の実践体験:対話で平和を体現する

筆者 永江早紀さん

プロフィール:
学生時代はナガサキ・ユース代表団6・7期生として、ジュネーブ国連事務局、ニューヨーク国連本部で行われたNPT(核不拡散条約)再検討会議準備委員会への参加や、長崎県内外での平和出前講座など、核兵器廃絶運動に注力。また、ハワイのパールハーバーヒストリックサイトで平和教育インターンを経験。全世界で気候変動防止の活動を行う若者団体、Fridays For Future の一員として福岡で活動。現在はサステナビリティのコンサル会社で幅広い業務を行う。

永江早紀さん
 

幼い頃から、両親に「あなたは口から生まれてきた」と言われるほど、私は話すことが大好きな人間だった。自分の思いや考えを言葉にすることに、ためらいや恐れを感じたことはほとんどない。むしろ、誰かと話すことによって、誤解が解けていくような感覚が好きだ。

小学校では、「◯◯があなたの悪く言っていた」といった陰口や悪口が飛び交うなか、私は当事者と話すまでは決めつけないという、自分なりの信念を持っていた。人間関係に問題があるときは直接対話することでしか解決できないと、信じていた。大学時代に参加したナガサキ・ユース代表団の活動では、その姿勢が平和を導く大事な手段なのではと感じ始めた。被爆地・長崎から、次世代の声として核兵器廃絶を訴えるため、国際会議に出席した際は、私は、ただ一方的に“廃絶”を叫ぶのではなく、なぜ保有しているのか、その背景を理解しようと、保有国の代表との対話に力を注いだ。

核保有国の中でも大国であるアメリカやロシアの代表らと対話を機会は叶わなかったけれど、フランスの代表とは話すことができた。ただ、彼らが語ったのは会議中にも繰り返される公式見解のみで、私や仲間が望んでいた“対話”は実現されなかったように感じた。この時に私は、対話とは単なる会話の形式ではなく、相手を理解しようとする姿勢そのものなのだと気づいた。どれだけ言葉を交わしても、そこに歩み寄る意志がなければ、対話は何の意味も持たないと感じた。

その後も私は、対話することを、自分なりに大事にしてきたつもりだ。けれど同時に、年齢を重ねるごとに対話がより難しく、複雑なものになってきたとも感じている。最近、身近な人に裏切られるような経験をした。私の価値観では受け入れられない行動を取られ、あまりのショックに話し合いの場を持つこと自体に強い抵抗を感じた。これまでの私であれば、どんなに感情的であっても、相手にも事情があるかもしれないと信じ、まず対話を試みていたと思う。だが、今の私は自分が傷つく恐れからか、「話しても無意味だ」と決めつけ、対話を先延ばしにしている。その結果、私の中でその人を“敵”と理解してしまうようになった。

私は、対話の対義語は「沈黙」ではなく「分断」なのではないか思う。対話を避ければ避けるほど相手との距離は広がり、心の中で“敵”とみなしてしまう。”敵”とした方が理解し整理しやすいからだ。ただ、一度敵視すると、対話なんて不可能になることも頭では理解している。この経験の中で、私が見てきた国際会議での景色を思い出していた。この構造はきっとミクロな人間関係だけでなく、マクロな国際関係でも同じなのかもしれないと思った。

米大統領トランプ氏の2期目が決まってから、世界でも分断と二極化が加速しているように感じる。それだけでなく、私自身を含め、異なる意見に触れることそのものを恐れる人が増えているのではないだろうか。違う意見を持つ人に何かを言えば、自分が傷つくかもしれないし、否定されるかもしれない。そんな恐怖に怯えて、私たちはますます“話さない”ことを選ぶようになっていると感じる。

でもこれはただ、”敵”と”味方”を自ら作り出してしまっているだけだ。私自身、これに気づき認めることさえ、今でも葛藤しているが、それでもなお、平和への手段には”対話”は欠かせない。せっかくこのようなテーマについてアウトプットする機会を頂いたので、もう一度初心に戻り、私から平和を体現していかなければ、と強く思う。