もし国際法がなかったら:主権と規範のせめぎ合い

筆者 河合公明さん

プロフィール:
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)副センター長・教授 
専門は国際人道法。2019年10月まで創価学会平和委員会事務局長等を務めた後、戸田記念国際平和研究所主任研究員を経て2023年4月より現職。2017年7月の核兵器禁止条約交渉会議には市民社会の一員として参加し、核兵器廃絶日本NGO連絡会では事務局を務めた。国際政治学修士(青山学院大学)。長崎大学大学院多文化社会学研究科修了、博士(学術)。

河合公明さん

もし国際法がなかったら、世界はどうなるだろう。ある国が軍事力を背景に他国を侵略し、あるいは海洋資源を独占しても、それを止めるルールはない。強い国が弱い国を一方的に不利な貿易条件で支配し、環境汚染で隣国に迷惑をかけても問題にならない。

国際法がある理由の一つは、こうした状況を防ぐためである。しかし、国際社会には国内社会のような統一的な政府がない。そのため、国際法には固有の限界があり、国家主権と国際法規範が対立する場合には、国益が優先されて国際法が守られないこともある。それでも国際法は、世界の秩序を維持する重要な役割を果たしている。国際法には、「対話」の基盤を提供する機能がある。

ここで、ロシアとウクライナの間の武力紛争について考えてみよう。この事例は、国際法が主権国家の行動を制止できるかを問うものだ。国連憲章第2条4項は、武力行使の禁止を定めているが、ロシアの行動を制止することはできなかった。しかも、ロシアが拒否権を持つため、国連安全保障理事会は行動を起こせなかった。そのため、国際法は無意味だと考える人もいるかもしれない。

しかし、国際法が無意味ならば、なぜロシアはウクライナへの侵略を正当化しようとしたのだろうか。それは、国際社会が法を基準に「対話」し、ルールを尊重することを前提にしているからである。国連総会も、ロシアの行動は違法であることを確認する決議を採択した。これもまた、総会決議の形式をとったロシアとの「対話」である。さらに、各国は国際法を根拠に制裁や外交的圧力を加え、ロシアの行動に対抗している。こうした国際的な反応こそ、国際法が影響力を持つ証左である。

また、2015年の気候変動に関するパリ協定を見てみよう。気候変動は、国境を越えた問題であり、国家主権だけでは解決できない。例えば、大気汚染や温室効果ガスの排出がある特定の国だけの問題なら、国際法は不要かもしれない。しかし、気候変動はすべての国に影響を及ぼすため、国際社会の共通ルールが必要である。そこで各国は、自主的な削減目標を設定し、それを報告し、状況を改善するための枠組みとしてパリ協定を締結した。これは、「対話」を通じて成立した国際法が、各国の協力を促す事例である。

統一的な政府のない国際社会において、国際法は完全ではない。主権国家はそれを恣意的に解釈し、時に違反することもある。それでもなお、国際法は「対話」の基盤を提供し、国際社会の平和と安定に貢献する。ルールのない世界では、力だけが支配する社会になる。今日の国際社会はそれを望まないし、それを認めない。今日、国際法は国際政治から挑戦を受けている。場合によっては破壊されかねない。「しかし、もしそれが破壊されてしまえば、損をするのは私たち自身である。」(イアン・ブライアリ)。国際社会では、国際法と国際政治の「対話」が不可欠なのである。